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歴史

250年を超える マダム・タッソーの歴史

250年以上もの間、毎年何百万人もの人が世界中のマダム・タッソーを訪れ、昔も今もその人気は不動のものです。この大成功にはさまざまな理由がありますが、その中でも「常に興味をそそるアトラクションであり続ける」ということが一番の成功の秘訣といえるでしょう。

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フィギュア職人マダム・タッソー

1761
マダム・タッソーの創始者マダム・マリー・タッソーは、フランスのストラスブールで誕生。出生名はアンナ・マリア・グロシュルツ。母が、医師であり、ワックスフィギュアの製作者としても名高いドクター・フィリップ・クルティウスの家で家政婦として働き、ワックスフィギュア製作の技術を学ぶ。
1777
17歳のとき、パリで測定を行い、哲学者ヴォルテールのフィギュアを製作する。
1780
フランス王家にルイ16世の妹の美術の家庭教師としてベルサイユ宮殿に迎え入れられる。
1789
フランス革命勃発。マリーはパリへと戻る。
1793
マリーは彼女の母とともに悪名の高いパリのラ・フォルス刑務所へ投獄される。釈放される際にフランス革命への忠誠の証として、かつて仕えていたルイ16世やマリーアントワネットなど王族貴族のギロチン処刑後のデスマスクの制作をさせられた。
1794
フランス革命が終わりを迎える。カーティス博士が亡くなり、すでに彼女の努力の下で拡張を続けていた填単会事業をマリー自身が引き継ぐこととなった。
1795
フランス人の技術師フランソワ・タッソーと結婚する。
マダム・タッソーと彼女の息子の展示カタログ

イギリスに歴史が渡ったとき

1802
夫をパリに残しろう人形の巡回展示のためにイギリスへ渡る。
1835
マダム・タッソーは息子と共にロンドンのベイカーストリートに「ベイカーストリートバザール」を常設。
1846
Punch Magazineという出版社がマダム・タッソー館のセパレート・ルームという凶悪犯罪の被害者や死刑執行人、殺人犯やその他の罪人たちの人形が置いてある部屋を「恐怖の部屋」と名付け話題となる。
1850
マダム・タッソー死去。

歴史に名を刻むアトラクションの誕生

1884
マリーの孫によってマダム・タッソー館は現在のマリルボーン・ロードに移転された。
1925
マダム・タッソー館が火災にみまわれる。
1928
マダム・タッソー館が再建され、新しく映画館とレストランもオープンされた。
1940
第二次世界大戦中ドイツ軍による空爆攻撃により、マダム・タッソー館は爆撃を受け、352個もの顔面の石膏型が修復不可能なほど破壊され、映画館は瓦礫と化した。
Madame Tussauds - 250 Years

アトラクションは世界中に

1972
ヨーロッパ2つ目のマダム・タッソーがオランダ首都アムステルダムにオープンした。
1999
アメリカ初のマダム・タッソーがラスベガスにオープンした。
2000
アメリカに2つ目のマダム・タッソーがニューヨークにオープンした。同年、香港にアジア発のマダム・タッソーがオープン。
2006
上海にマダム・タッソーがオープン。
2007
アメリカのワシントンD.Cにアメリカ3つめのマダム・タッソーがオープン。
2008
ヨーロッパ3か所目のマダム・タッソーがドイツ、ベルリンの大通り「ウンター・デン・リンデン通り」にオープン。
2009
ハリウッドにアメリカ4か所目となるマダム・タッソーがオープン。
2010
アジア3か所目となるマダム・タッソーが同年12月タイ、バンコクにオープン。
2011
4月にイギリスのブラックプール、オーストリアのウィーンにオープンし、マダム・タッソーが全世界で12か所まで広がる。
2011
マダム・タッソー誕生250年!!

さらなる飛躍を目指して

2012
マダム・タッソーがついにオーストラリア、シドニーに上陸!
2013
マダム・タッソーが東京と中国の武漢市にオープン!
2014
アメリカのサンフランシスコ、カリフォルニア、中国の北京にもマダム・タッソーがオープン。
2015
マダム・タッソーがフロリダ州オーランドに上陸。